大平台の「温泉」の話 前編

          

この前は水のお話だったので、今週は大平台の「温泉」についてお話します。

大平台は、当館をはじめ多くが箱根細工(木工細工)や漆器の工房を営んでいました。→リンク:「漆器問屋の名残

しかし、温泉の出ない大平台は当時の観光マップ等には地名すら載らないありさまでした。

もちろん、大平台でも明治ごろから温泉の掘削は行われていましたが、何も出なかったり、出ても「水」だったりを繰り返していました。

追い打ちをかけるように、戦争が始まると職人が減ってしまい、箱根細工の衰退が始まってしまいました。

 

そこで、昭和23年に一念発起し温泉の掘削計画がはじまりました。

掘削場所が、ほかの源泉と60間(110m)程しか離れていなかったことや、温泉法の改正などの問題がありながらも、

翌年10月1日から掘削をはじめ、同月30日に見事に源泉を掘り当てました。

計画開始からわずか1年足らずでの達成は、当時の人達の意気込みがよくわかります。

        

温泉が噴出している様子(当時の写真)

しかし、掘り当てたは良いものの、まだまだ課題が残っていました。

(参考:大平台温泉開発誌)

後編に続く